二拠点生活

二拠点暮らしをはじめて3ヶ月。つぎはぎ荘の1日を振り返る。

移住前に参加したセミナーで「田舎でスローライフはスローじゃない」という言葉を聞いた。

田舎暮らしにもいろいろな形があると思うが、3ヶ月間、東京と長野で二拠点暮らしをしてみて思うのは、少なくとも隙間風だらけの古い家に住んだ場合は「スロー」じゃないかもしれない。

そんなことを思いつつ、つぎはぎ荘で過ごす、とある1日を振り返ってみる。

 

はじめて迎える伊那谷の冬と、つぎはぎ荘の朝。

つぎはぎ荘 冬の朝

目覚ましがなる前に目が冷めた。壁の隙間から差し込む光がまぶしい。

寝室になる予定の部屋は絶賛改装中なため、今はリビングダイニングで寝ている。つまりキッチンのすぐ隣で寝ている。キッチンに床下収納があるためか、床は冷たく、すのこを引いていても布団の中まで冷気が入り込んでくる。実家から届いた羽毛布団がなければろくに眠れなかったと思う。

長野県上伊那郡の辰野町で空き家となっていた元教員住宅を借り、「つぎはぎ荘」と名付けて生活をスタートしてから、もう3ヶ月が経つ。空っぽの部屋で、ダニだらけの床に寝袋を敷いて寝ていたのがもう懐かしい。

キッチンの換気扇はなぜか抜き取られ、25cm各くらいの穴があいている。板と蜘蛛の巣で塞がれてはいるが、隙間だらけのその穴からは冷たい空気と一緒に、朝日が差し込む。

換気扇の穴

息を吐くと白い。鼻息すら白い。湯たんぽはまだほのかに暖かくて、布団からはなかなか出られない。石油ストーブをつけなくちゃ。あれ、灯油がなくなってる。入れなくちゃ。

ブルブル震えながら、まだピカピカのアラジンのストーブを持って玄関先で灯油を入れる。同居人の父に借りている車に灯油をこぼして怒られたばかりなので、慎重にポンプをにぎる。

昨晩、雨が降ったせいか空気が澄んでいる。ふと顔をあげると、伊那谷を囲む山々がいつもより近く見える。南アルプスの頭はもう白い。庭の草花にも霜が降りている。大きく深呼吸をする。ここまで来るとかなりの低血圧の私も目がシャキッとする。

友人家族が遊びにきてくれた時。雨上がりの空気が気持ちよかった。

ストーブを点火して、上に水の入った鍋を置く。お湯が沸くのを待つ間に、まだあたたかい湯たんぽを布団から取り出す。中身のお湯で、昨晩シンクに残しておいた食器を洗う。

キッチンの瞬間湯沸かし器は壊れていてお湯が出ない。壁には点検してもらったときのまま、カバーが外れて中身がむき出しの瞬間湯沸かし器が残っていて、オブジェのようになっている。

冬場、冷水で食器洗いはなかなか厳しい。油汚れは落ちないし、空気は乾いていて手はガサガサだ。今までは洗面所からお湯を汲んでいたが、湯たんぽが来てからはこの時間もなかなか快適になった。

つぎはぎ荘 石油ストーブ アラジン

1年ほど前から長野との二拠点生活を考え始め、冬の間にも何度か辰野町には訪れていた。なんとなく冬の寒さは知った気でいたが、たまに来るのと暮らすのとでは感覚が全く違うと改めて知る。しかも去年は暖冬だったと聞く。冬本番が恐ろしい。

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ストーブの上の鍋でお湯が湧いたので、しょうが紅茶のパックを突っ込む。昨晩作った白菜鍋の残りをいただきつつ、食パンをトースターで焼く。歩いて数分の無人販売所では巨大な白菜が150円で買える。それを買えば一週間は毎日、白菜鍋が食べられる。袋いっぱいに詰め込まれた食パンも近所のパン屋さんで50円で買った。この値段で、ここの人たちはちゃんと生計を立てられているのかと不安になる。

つぎはぎ荘 パンの切れ端

ちょっと前までトースターもなくて、パンはフライパンで焦がしながら焼いていたし、そのパンをいただくテーブルも椅子もなくて、窓の縁に座って食事を取っていた。本格的に生活を開始した9月の頭は、まだ暑さも残り、山から降りてくる風は爽やかで気持ちが良かった。今やったら一瞬で鍋もトーストも冷める。

つぎはぎ荘 窓辺で食事

数日前には友人から椅子が大量に届いた。コロナの影響でリモートワークが進み、オフィスがいらなくなった、なんて話をよく聞く。同時にお客が来なくなり、閉店せざるを得なくなった飲食店の話もよく聞く。似た理由で大量に余ってしまった椅子を譲り受けた。2人しか住んでいない家に14脚の椅子。配送会社のお兄さんにお店やるんですかと聞かれたので、そんなようなもんですと答えておく。コロナが落ち着いたらこの14脚が埋まるくらい友人を呼んで盛大に飲み会でもやりたい。

つぎはぎ荘 椅子

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ストーブの上で煮出したしょうが紅茶をいただきつつ、同じく届いたばかりのテーブルの上でパソコンを開く。東京の狭いワンルームでも床に座って仕事をしているので、椅子に座って作業をするのが久しぶりな気がする。午前9時半。まだまだ気温が上がらない室内でダウンを着て、足元には温め直した湯たんぽを置いて、仕事開始。

つぎはぎ荘 石油ストーブ 紅茶無限に紅茶が煮出せるのでストーブは便利。

二拠点暮らしをきっかけに、フリーランスになる。

長野の家を決めると同時に、勤めていたデザイン会社をやめることにした。

忙しい業界だったが、やりがいもあって好きだった。だが、昼も夜もない生活を続けているうちに、1年ほど前についに体を壊した。休職して復帰して、また体調を崩して休職して、思うように働けない自分が情けなくて毎日泣いていた。

そんな中、コロナがやってきた。

イベント業だった私の会社はほぼ仕事がなくなった。たまたま現場を離れ、社内のブランディングやウェブ担当になっていた私は、自粛期間中も自宅からリモートで仕事ができていた。毎日13食、自炊して、規則正しい時間にご飯を食べて、適度に働いて、夜勤はせず、0時には寝る。びっくりするくらい体の不調が治っていった。よくよく考えたら当たり前のことなのかもしれない。けれど、社会人になって6年間、いろいろなことが麻痺していたらしい。

家庭菜園 トマト自粛期間中にハマったベランダ菜園

自粛期間と並行して、長野の家が決まりつつあった。もう長野での暮らしもスタートできるぞ、という段階で出社が再開。また通勤電車でもみくちゃになりながら出社して、デスクの上で画面を眺めながら食事を済ませる日々が戻ってくる。

もう今しかない、と思った。同居人にも相談し、翌週には会社をやめると上司に伝えていた。当たり前を、当たり前にしたかった。

勢いで決めたことなので、次の仕事も決めておらず、フリーランスとしてやっていくにも不安はあったが、幸い独立したあとも業務委託として仕事をもらえることになった。元々副業でやっていることもあったので、それに本腰入れられるのもちょうどよかった。

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会社勤めの時の癖は抜けないもので、会社員ではなくなった今も、何かと会社のメールやチャットが気になってしまう。出社したら紅茶を入れるのも日課だった。相変わらずパソコンの横には紅茶がある。変わったのはそれがオフィスではなく自宅で、しかも長野の片田舎の室温3℃の家だということ。

オープンな家が生む、ゆるいつながり。

12時。お昼の買い出しに行く。

ついついこちらにいると車に頼りがちだが、たまには徒歩でスーパーまで行ってみる。車は景色が流れるのが早すぎる。伊那谷の空気と景色を堪能するには、徒歩か自転車がちょうどいい。幸い、スーパーやホームセンターは徒歩圏内にあるので、車が運転できない人間でも暮らせている。

辰野町 自転車辰野町は自転車が似合う。

こっちにきて嬉しいのは、スーパーやコンビニにも現地で採れた新鮮な野菜が売っていること。そして安い。サイズも大きい気がする。野菜がおいしいので長野にいる間は肉を食べる量が減る。でも買いすぎは注意だ。夕方にはたくさん野菜をもらうことになるかもしれない。

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なかなか減らない白菜で簡単にパスタを作って食べる。都内の会社勤めの同居人は午後からリモートで会議らしい。公にしているわけではないようだが、さすがに社内からは二拠点生活について突っ込まれることが多いみたいだ。コロナをきっかけに移住を考えている人もちらほらいるらしい。確かに、壁紙を剥がした状態の、パテとマスキングテープだらけのボロボロの壁を背景に、忙しそうに画面に向かってしゃべっているのを見ると、場所なんて関係ないのにな、と思う。

リノベ 壁

午後は南側の寝室(になる予定の部屋)に仕事場所を移す。この部屋は障子越しに日がたっぷり入って、とても明るくて暖かい。

この部屋も全面窓に囲まれているせいか、外からの冷気がすごかったが、天井に断熱材を入れ、壁と柱のすき間にパテを打ってからは少し寒さが和らいだ気がする。とはいえ、窓は歪みや、サビできちんと閉まらないので隙間風は相変わらず入ってくる。それでも窓枠にすべり剤を塗って、やぶれていた障子をしっかり貼り直してからはかなり改善された。なにより見た目のお化け屋敷感がなくなった。

建具をすべて外して、窓全開で作業していた時には、向かいのお家の奥さんが差し入れにりんごをくれた。住み始める前、内見をしていた時にボロボロの空き家が放置されているのが怖いと言っていたご近所さんたち。部屋が綺麗になったら一緒にお茶をしましょうと約束した。

建具 調整閉まらない建具たち

15時頃、家の裏手にある小学校のチャイムがなる。子ども達のにぎやかな声が聞こえ始める。家の前をランドセルを背負った子どもたちが帰っていく。窓辺で仕事をしながら「こんにちは」と声をかける。「こんにちは」と元気に返してくれる。最初は、空き家だったはずの家に人がいることに驚いていた子どもたちだが、最近は向こうからも挨拶をしてくれる。家の周りを探検して、室内を覗き込んでくる子もいる。きっと元は彼らの遊び場だったのだから、好き放題すればいいと思う。

この元教員住宅だった家に住みたいと思ったのも、なんとなくこういう風景が想像できたからだ。1日の中で大好きな時間だ。「外に開かれた家にしたい」という想いを持ってこの家に住みはじめたが、想像以上にオープンになっている。

窓辺 仕事夕方はここに座って、学校帰りの子どもたちに挨拶をするのが日課になりつつある。

 

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日課になっている挨拶運動を終えて、また仕事に戻る。

しばらくすると玄関から「ごめんください」と声がする。ご近所のおばあちゃんだ。夕方のこの時間がお散歩の時間らしい。古い家に住んでいる私たちを心配して、引っ越してたきた当初から気にかけてくれる、とても優しいおばあちゃんだ。

インターホンが壊れているので、窓を締め切っているとなかなか人が来たことに気づかない。しかし最近は勝手にドアを開けて入ってきてくれるので問題なくなった。田舎暮らしでは、ご近所さんと猫は勝手に入ってくるという話を聞いたことがあったが、それは本当だった。猫はビビりな性格なのか覗き込んではくるけど、まだ入ってきてはくれない。

猫 空き家ビビリな訪問者

この日は畑で野菜を収穫するので、一緒に来ないかというお誘いだった。仕事を中断して、喜んでついていく。家から歩いてすぐのところに旦那さんが定年後に趣味ではじめたという畑がある。ほうれん草、ねぎ、トマト、山芋、ブロッコリーこちらに来るたびに家に立ち寄ってくれて、採れたての美味しい無農薬野菜をおすそ分けしてくれる。

今日のメインは野沢菜。そういえば野沢菜って漬けた状態のものしかみたことがなかった。当たり前だけど野沢菜って土から生えるんだなぁなんて思いながら、同居人と一緒に両手いっぱいに野菜を持たされる。やっぱり、スーパーで野菜を買いすぎなくてよかった。そしていつも用が済むとさっさと帰される。

こちらに住み始めてから、とにかくたくさんの人に助けられている。でもどの人も押し付けがましくなくて、見返りを求めているわけでもない。なんでこんなに親切にしてくれるのかいつも考えている。何か恩返しをしたいと思うけれども、特別すぐに何かできることもないので、まずは放置されて怖いと言われていたこの家を、大切に育てていくことが多少なりとも恩返しになるのかなとも思ってきた。

来年の春からは、おばあちゃんの畑の一部をお借りして、一緒に野菜作りをすることになった。そこで美味しく野菜を育てて、今までの分をお返ししたいと思う。

つぎはぎ荘 野沢菜

人と人がつながる。地域と地域がつながる。

この時間帯は小学生との挨拶運動からはじまり、おばあちゃんとのお散歩を楽しんでいるとあっという間に日が暮れる。こちらにいる間はとにかく1日が一瞬で終わる。街灯が少ないせいか、暗くなるのも早い気がする。

一旦やっている仕事を切り上げて、車を走らせて隣町まで出かける。ここからはリモートではなく、現地でのお仕事だ。

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私も同居人もまだまだ東京での仕事がメインだ。なので、ずっと長野にいるわけにもいかず、週一回の出社日に合わせて東京に戻る、というようなペースで二拠点生活を送っている。月に半分はどちらかにいるような暮らし。

ありがたいことに最近は長野でのお仕事もいただけるようになってきた。日中は東京の仕事がメインになってしまうので、現地でのお仕事はだいたい夕方から。今夜は移住前からのご縁で、隣町まで取材の仕事。ちょっと前は辰野町で行われていた展示イベントのサポートで、深夜の美術館の設営に参加するという貴重な体験もさせてもらった。

深夜の美術館 設営深夜の美術館のイベント設営

こちらにいるとコミュニティがコンパクトな分、人と人がつながるペースが早い。辰野町という場所を知ったのも、この元教員住宅の空き家に出会えたのも、すべて人とのつながりのおかげだ。移住のための情報を集めていたときも、アクセスや気候、家の条件や補助金の有無などいろいろな要素があったけど、けっきょく決め手は「人」だった。

なんか面白そうな人がいて、なんか面白そうなことが起こりそうだなと思った。そしてその「なんか」は今すでに起きているのではなくて、これから起きそう、というのがよかった。家だって、地域だって、完成されていない状態が一番面白いと思う。

こっちにきてから面白いなと思うことのひとつで、何かお誘いをされるとき「あそぼう」と言われることが増えた。「飲みに行こう」とか「食事に行きませんか」とかではなく「あそぼう」。車社会なので飲み会という形の集まりが少ないというのもあると思うが、その言葉には何のフィルターもない。なんか面白そうだから、特に目的もないけどゆるく集まる。実際に集まるのもだいたい誰かの家だ。

そういえばコロナの影響で人に会うことも減って、仕事とか、打ち合わせとか、見たい展示があるからとか、なにかと理由をつけて集まることが多くなった。純粋に「あそぶ」ことが減っていたのかもしれない。

そんな調子で面白いことすべてに顔を出していると、気付くと東京にいるときよりも忙しくなる。

友人の住む古民家では、夜中まで音楽を鳴らして遊んだ。

 

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隣街の取材が済んで、近くの温泉に閉館ギリギリで滑り込む。買い物を済ませて帰ってくるともう22時近く。

そこから昼間収穫させてもらった野菜で夕飯を作る。採れたての野菜はとにかく甘くて美味しい。お腹いっぱいになり、温泉でぽかぽかになった体で、いざお布団へといきたいところだが、わたしたちの家づくりはここからスタートする。

本日の作業は寝室の珪藻土塗り。壁紙剥がしから下地作りも入れると、1ヶ月くらい前から着手しているが、毎日予定を詰め込みすぎて、全く思うように作業が進まない。古い壁のせいか、下地からシミが浮き出てきてしまって何度も重ね塗りすることになったり、断熱材を入れるために天井裏に登った時には酸欠になりかけたし、天井を足でぶち抜いた。素人2人でのDIYはやりながら学ぶことがたくさんある。

つぎはぎ荘 左官

少し前には東京から友人夫婦が遊びにきてくれた。彼らもこの冬から奄美大島に移住して、空き家を活用してゲストハウスを開くそうだ。セルフリノベに興味があって、まだ人が住むレベルではないこの部屋に遊びにきてくれて、寝袋で寝泊まりしながら家づくりを手伝ってくれた。次は私が奄美大島に行ってリノベのお手伝いをすることになっている。向こうは防寒具が必要なさそうだ。ゲストハウスの一室を借りて、奄美大島と3拠点も悪くないなと思った。

シーラー塗り

その前には同じく東京に住んでいる友人家族が長野でのキャンプのついでに、子どもを連れて我が家に立ち寄ってくれた。子どもは空間をフルに使って遊んでくれる。フローリングに貼り替える予定だった畳も、子どもがのびのび遊んでいる様子を見るとそのままでもいいのかもという気がしてくる。人がたくさんいると、もの寂しかった家も、生き生きしているような気がする。

こども 空き家 畳

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0時を回ったところで、リノベ作業をやめる。

温泉であたたまったはずの体はもうすっかり冷えていた。またキッチン横に布団を敷いて、コンロで湯たんぽを温める。

これにてつぎはぎ荘での1日も終わりだ。

スローライフはスローじゃなかった。

田舎暮らしは忙しい。少なくとも古い家の場合は。

一瞬で部屋を温めてくれる暖房器具はないし、キッチンのお湯は出ない。壁はすき間どころか、穴が空いているし、家の中でもダウンを着なきゃ寒さで仕事もできない。家には人が勝手に入ってくるし、空き家だった家での暮らしを面白がって訪問者が絶えず来る。冬本番に向けての断熱作業もまだまだ終わらないし、まだしばらくは冷たいキッチン横で寝なきゃならない。

やっぱりスローライフはスローじゃなかった。

でも1日を振り返ると、なんだか心がぽかぽかしてくる。なんてことない1日なのに、東京で在宅で仕事しているときの何倍も人と出会う。やりたいことがどんどん増える。でもその田舎暮らしの良さを感じるのも、東京での暮らしを平行して続けているからなのかもしれない。

すっかり冷えて、くたくたになった体に湯たんぽの暖かさが沁みる。

今日もキッチンの換気扇の穴を眺めながら眠った。

湯たんぽ