二拠点生活

長野の空き家「つぎはぎ荘」でやりたいこと。|東京と長野で二拠点生活

つぎはぎ荘でやりたいこと

こんにちは。朋です。

私はいま東京都内のワンルームでパートナーと2人暮らしをしています。
そして最近、長野県・辰野町の空き家物件「つぎはぎ荘」に出会い、東京と長野の二拠点生活をスタートしました。

今日はその「つぎはぎ荘」との出会いと、そこでやりたいことについて、お話しようと思います。

「つぎはぎ荘」とは?

「つぎはぎ荘」は私とパートナーの長野の住まいのことです。
「現在は」長野県・辰野町の元教員住宅だった空き家を借りて、もう一つの拠点での生活をスタートしました。

「現在は」と言ったのは、そこにずっと住もうとは思っていないから。

「つぎはぎ荘」は、私たちが空き家を利用してやりたいと思っている、一つのプロジェクトです。どういうことなのか、まずは私の「家」に対しての思いを語らせてもらおうかと思います。

東京の暮らしと、地方の暮らし

憧れの一人暮らしと現実

家族を作って、たくさん働いて、ローンを組んで
庭付きの大きな一戸建てを買って、
おばあちゃんになるまでそこで暮らす。

家ってそんな人生を送る人が持つもの。
東京の狭いワンルームで一人暮らしをしていたとき、そんな風に考えていました。

飽き性で、フットワーク軽くいたい私は、自分の家を持つということに憧れはありながらも、それはずっと先のことだろうと思っていました。

とはいえ、私は大学に4年間通った後、就職せずにインテリアの専門学校に行くくらいにはインテリアが大好き。インテリア雑誌を読むのも大好きで、それを真似て、実家の壁を勝手にペンキで塗って怒られたりもしていました。笑

そんなお家づくり大好きな私なので、社会人になってすぐ、都内の賃貸アパートで一人暮らしを始めました。学校で学んだ豊かな暮らしを実践してみたかったのです。

しかし賃貸という制限のある空間で、なんとなくフラストレーションが溜まる日々。狭い部屋は家具でアレンジするにも限界があるし、好きに床や壁もいじれない。

何よりもインテリアが好きで空間デザインの仕事を始めたはずなのに、その仕事が忙しすぎて、家には朝方、仮眠を取るために帰るのみ。本当は家が大好きなのに、その家にはほぼいられない。すっかり自分の理想の暮らし方を見失っていきました。

東京での暮らしに限界を感じ、地方移住へ興味を持つ

そんな生活を続けながら、2社目の会社でも変わらず空間デザインの仕事をしながら、慌ただしく、それなりに楽しく働いていました。

それが2019年の夏、デザイン部署のマネージャーになり、デザイン業務以外の仕事が増えたのをきっかけに、体と心を壊してしまいました。ベッドから起き上がることもできず、皮肉にもあんなにずっといたいと思っていた自分の家に、毎日泣きながら引きこもることになります。

時を同じくして、閉所恐怖症のパートナーが都内の満員電車での通勤に耐えかねて、たまたまラジオで耳にした地方移住イベントに参加。そこで知った長野県岡谷市の移住体験ツアーに行くとのことで、私も付いて行くことに。

そして、そのセミナーの中にあった現地での「空き家ツアー」に参加して衝撃を受けます。
賃貸でも内装を好きにいじれる家がたくさんある!しかも広い!そして安い…!

そして自治体の方々も空き家問題に悩まされているという話も聞きました。持ち主がわからず、取り壊しすらできない空き家も多いとのこと。中には、家具や生活用品もそのままで、ついさっきまで人がいたんじゃないか、という状態で放置されている家もありました。

地方の空き家を利用すれば、本来憧れていた暮らしができるのではないか。長野ならしばらくは東京での仕事を続けながら、行き来することもできる。ついでによくわからなくなっていた働き方や生き方について考えるきっかけにもなるかも。さらには私たちが住むことで、空き家問題の解決にも貢献できるのでは。

そんなことを考えながら、私も地方移住に興味を持つようになり、情報収集を始めました。

一軒の空き家との出会い

長野県・辰野町との出会い

情報収集をしている中で、様々な出会いがありました。その中でも、住む町を決めるきっかけとなったのは、NPO法人ふるさと回帰支援センターで行われた「二地域暮らしのはじめかた×パラレルキャリア」というイベント。ここで一般社団法人 ○と編集社のメンバーに出会い、二拠点生活というものを知ります。

 ○と編集社さんは長野県の辰野町を拠点に「町をおもしろくする活動」をしている変わった会社さんです。 辰野町という場所すら知らなかった私たちですが、町のイベントに参加したり、地元の方々やそこに移住した人の話を聞いているうちに、辰野町という場所と、そこに住む人たちが好きになっていました。

そして2020年に入って、本格的に辰野町に絞って家探しをすることに。その話を現地の知人にすると、早速空き家を紹介してもらえることになりました。

元教員住宅の平屋との出会い

空き家巡りをしながら紹介してもらった中に、一軒の平屋がありました。もともとは近くにある小学校の教員住宅として使われていたとのこと。築40〜45年程度で元々は副校長先生が住んでいましたが、長いこと空き家として放置されていました。

大きな二階建ての戸建て住宅が多い中で、比較的こじんまりとしたその家は、なんとなく自分たちの身の丈に合っている気がして、手を入れながら無理なく暮らせそうだと思いました。そして何よりも憧れの庭付き平屋!

その後、コロナの影響で県を越えての行き来ができなくなったりと困難もありましたが、地元の方々のご協力もあり20207月に契約することに決めました。

長野の家でやりたいこと

いつの間にか忘れてしまった「ご近所付き合い」

「つぎはぎ荘から、はじめまして 二拠点生活はじめました。」の中でも触れたように、もし家を持つ時には、人が自然と集まる、外に開けた家を作りたいと思っていました。

そう思ったきっかけは都内で初めて一人暮らしをしたときのこと。

私が一人暮らしを始めたのは住宅街の中にある小さなアパートでした。
新築だったそのアパートには、最初わたし一人が住んでいました。長らく一人だったので新しい入居者が来ると、仲間ができたようでなんだか嬉しかったのを覚えています。しかし、いざ部屋の外で顔を合わせると目も合わせない、挨拶してもなんだかチグハグ。退去するまで顔も知らない人もいました。

昔と比べてこわい犯罪も増えているし、ましてや女の一人暮らし、それぐらいの距離の方が安全なのは理解していました。それでもご近所さんとすれ違う度に、そっけない挨拶をする度に、無性に悲しくなりました。小さい頃から団地に住んでいたので、ご近所付き合いというのが当たり前だったんですね。

ある時、アパートの前にゴミが放置されていたことがありました。管理会社から貼り紙があるにも関わらず、なかなか撤去されないゴミ。少し経ってから管理会社の方と話す機会があったので。そのことについて聞いてみると、その新しい入居者は外国から来た方だったとのこと。少しゴミ出しルールが複雑なアパートだったので、もしかしたらそれがわからなかっただけなのかも…教えてあげられたらよかったな…なんてことを考えながらも、その人とも顔を合わせることもなく、結局そのアパートを去る事になりました。

家を通して、人と人がつながる場をつくる

そんな思いもあり、もし自分が家を持つ時には、もっと外に開けた、ご近所さんとの会話が自然にできるような家にしたいと考えていました。地域の溜まり場のような家になったらいいなと思っていたんです。

そう考えた時、「学校という子どもが集まる場所で働く、先生のための家」というその空き家にはストーリー性を感じたのです。

また、その元教員住宅には辰野町を知るきっかけとなった○と編集社さんのメンバーの1人も、過去にこの教員住宅を仮の住まいとして使用していました。そのおかげで古い家ながらも最低限の下水などの水回り設備は整っていて、それがすぐに契約に踏み切れた理由でもありました。(地方の空き家は上下水道設備が整っていないお家が多い。)整備する前はトイレに便器がなく、ただ穴が空いているだけだったそうです。笑

それを知ったとき、前に住んでいた人の顔がわかるということが、とても安心感があることだと気付きました。実際に「夏はめちゃめちゃ暑かったからここの断熱は早く済ませた方がいい」「トイレが使えない時はこのコンビニのトイレを使ってた」など、前に住んでいた人からその家で暮らす上での情報がもらえました。これって賃貸サイトや仲介業者頼りだった今までの家ではなかったなぁと。

そこで思いついたのは、私たちもここに住んでいる間に少しずつこの家を住みやすく改装して、次に住む人に引き継いでいったら、物寂しかったこの空き家もだんだんと住みよく、表に出せる物件になるのではと思ったのです。不動産側も元々住んでいた人の紹介なら安心ですし、また一から住まい手を探す手間も省けます。(この元教員住宅はワケありで表向きには公開されていない物件でした。)

そして同じ家に住んでいた仲間や、その周りの人たちで、一軒の家を通じたコミュニティみたいなものができたら面白いのではと。そしてそれが地方の空き家のあちこちで形成されて行ったらもっと面白いことが起きるのではないかと思いました。

そして、当の私たちは家づくりのノウハウや、日本の住宅の知恵を学びながら、空き家から空き家へ移動していく。まるで遊牧民のように。終着点はないかもしれないし、いつかは長野以外の場所に住むかもしれない。もしかしたら東京に戻ってくるかもしれない。

記事の冒頭で「”現在は”長野県・辰野町の元教員住宅に住んでいる。」言ったのはそういう理由だったのです。

家を選ぶことや生きる場所を変えることってそれくらい気軽でいいのかも、と思えれば、いろんな人がもっと生きやすくなるのでは。そして地方には住まい手を待っている、自由な暮らしができる家がたくさんあるんです。

そんなことを思いながら、私とパートナーのこのささやかなプロジェクトを「つぎはぎ荘(継ぎ接ぎ荘)」と名付けました。

つぎはぎ荘 コンセプト

地方の空き家問題との関わり方

元教員住宅の家を内見した時、ご近所さんのこんな声を聞きました。

「この空き家、ずっと放置されてて不気味だから、壊しちゃってよ。」

辰野町だけではなく、日本のあちこちで空き家の問題は起きています。自治体がこれをどうにかしようと、さまざまな取り組みをしていますが、けっきょくは家に住むのって「人」です。「個人」です。「個人」が住みたいと思わなければ、そういうきっかけがなければ、解決しない問題だと思います。

私は、このつぎはぎ荘での暮らしを通して、「地方の空き家問題を解決する!」「地方創生!」みたいな大層なことは考えていません。たぶんそういう義務感みたいなもので、移住をしてしまうとまた息苦しくなってきてしまうと思うんですよね。

私たちのように、なんとなく今の暮らしに違和感を感じている人たちは大勢いると思います。私たちがあくまで「個人」として、地方での暮らしを楽しみながら、その一部分を発信していくことで、その違和感を感じている人たちが生き方や生きる場所を選ぶ際の一つの選択肢を作れたらなと思っています。

そしてそれが少しでも空き家問題の解決につながれば、地域ともwin-winな関係が作れるはずです。

まとめ

私たちが「つぎはぎ荘」を通してやりたいこととは

家を育てて、継いでいく。
家を通して、人と人とを接いでいく。

ということ。

「つぎはぎ暮らし」ではその活動をのんびり、マイペースにお伝えしていきます。
そして、いつかこの「元教員住宅だったつぎはぎ荘」に住んでみたいかもという人が現れたら、嬉しい限りです。